象/新国立劇場・小劇場 [演劇]

かなり前だが。

再演モノということで、『象』も観たのであった。
もし、稲垣吾郎でなかったら、違うだろうか? と確かめたくて。

あまり、違わなかった。

違うのは、チケットが余りまくって、空席が目立ったこと。
哀しいです。

でも、脚本もつまんないし、演出もたいくつ(特に前半1時間は拷問)だから、
しかたないかー。

木村了くんは、きれいでした。
以前、弱法師やったとき、うまいなとは思っていたのさ。
今後、期待。



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春琴/世田谷パブリックシアター [演劇]

初演でヤラレちゃってから、毎年欠かさず観ていた。
震災で間が空いちゃったのね。

舞台自体の感想は、今まで書き尽くしてしまったので、
今回は、最後記念の記録です。



再演毎に、サイモンさんはいろいろいじくっていた。
日本のトイレはボタンがいっぱいあって、どこを押したらいいかわからない。
ぼくはただ、トイレを流したいだけなんだー!!
と叫んでいたのは、何年版の『春琴』だったっけ?

私にとっては2009年版の『春琴』が最高で、翌年の(つまり前回の)解釈はあまり好きではなかったので、
もう観るのはやめようと思っていたのだ。

でも、最後っつーから、やっぱ観なきゃ。
と思って、昨日行って参りました。

チケット取り忘れていた。
あまりの人気にびっくり。
再演の時は、舞台始まってからでも余裕で買えたのに、
今年は当日券すら電話つながんねー。

どうやらクチコミで広まったみたいですね。
良い舞台が正しく評価されて、商業的に成功するのは、何よりも喜ばしいことです。
ちょっと、日本人を見直しました(上から目線)。

で、10時の当日券発売開始と共に100回以上リダイヤルし続け、
30分後に繋がったときは、「予定枚数終了しました」とチケットセンターのおねいさん。

でも、どうしても諦めきれず、窓口発売はあるか、午後1時頃に再度電話をしたら、
「3階の立ち見なら予約できます」とおっしゃるではないか!
なんで? さっき完売ゆーたやん。

まあ、そんなこたーどーでもええ。
ぴあだって、忘れた頃に良席出したりするんである。

初めてです。世田谷パブリックシアターの天井席。
3階の立ち見って、壁と手すりに挟まれて観るの。
アタシは小柄だから問題なかったが、
たぶん巨漢の方は入れません。
本来、人が観る所と想定されてませんから。

でも、思いのほか見やすかったが、3500円はちょっと。。。。うーん、『春琴』のラストだから許そう。

深津絵里ちゃんも今年不惑なんだねー。
5年前と全然変わらない。
美しい人です。

変わったのは成河くん。
実はアタシが成河くんのファンになったのは、初演時の背中の筋肉に落ちたからであった。
いやもちろん、「片腕パック」のインパクトが強かったのもあったが。

あのときの若枝のようなしなやかな体は失われており、
有り体に言えば、おっさんになったなーと。
(青年期の佐助って、以前は髭なかったよね?)

演出等も前回版とほぼ同じであった。
ナレーターの女性が付き合っている男性が息子ぐらいの年という設定も
前回と同じ。
(初演時の設定は不倫関係で、ナレーターの女性は春琴を朗読しながら、
自分自身を俯瞰できるようになるというサイドストーリーがあった。)

初回、再演時の「舞台の神が降臨」したような、客席と舞台上が一体化する瞬間はなかったけれども、まあ、ラスト公演を観られてよかった。


カーテンコールが5回も。(初演時はカテコ1回で客が帰って、呆然とした思ひ出)。
しつこ過ぎ。

大千秋楽以外は、3回でいいと思います。
役者さんだって、早くシャワー浴びてビール飲みてぇよ。





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ヴィーナス・イン・ファー/シアターコクーン [演劇]

独裁者は民衆が創りだすもの、というのはよく言われることだ。
第一次大戦で疲弊したドイツ国民は、ひとりの圧倒的な才能をもつ男に権力をゆだねた。

ヴァンダを創りあげたのは、他ならぬクジエムスキー本人である。
「Heil, Hitler!」
「Hail,Aphrodite!」


だけど脚本を読むと、やはり最初から最後まで、女性が圧倒しているんだよね。
冒頭とラストに引用される旧約聖書外典の『ユディト記』の「ユディト」は、
占領された街を救うため、自ら身を投げ出して敵軍の将軍をたらし込み、その首をあげて
街を救った女傑。

ヴァンダはなぜか、トーマスの書いた脚本の完全版を持っていて、
なぜか、1870年の衣装も持っていて、
最後には本物の、セーブルの毛皮まで出すんである(役者志望の、売春までやっていた女が買えるような代物ではない)。

「君は何者なんだ?」

「どこから来たんだ?」

ヴァンダ(Wanda)はヴァンダ(Vanda)そのものであり、またアフロディテの化身でもある。
トーマスが創りだした女が、そのまま目の前に現れた。
ならば、トーマスが服従してしまうのは、必然のことであろう。

男がどんなに女を支配しようとして、蔑視しても、
最後の最後では、女の支配を受けてしまうんだ。

やっぱ、結論は「女には勝てねー、アフロディーテばんざーい(Hail Aphrodite!)」になってしまうんですけど、他に解釈ありますか?
脚本家のアイビスさんって、すごく女性の心理を理解していて、
たとえば「スローなセックスはステキだよ」というような、いちいち納得させられる台詞がちりばめられている。
でもこれは、アメリカ文化界の一線で活躍する芸術家だから、書けるものであろう。


近代以前の欧米の文学や、それから派生する表現媒体(映画やオペラや演劇)を見る度に思うのだが、
父系社会の概念から描かれたものが多く、それにキリスト教的道徳観が入るから、
私たち東洋人には、予備知識がないとわかりづらいことがある。

ルシフェル等のキリスト教における悪魔は、他の宗教の神であるのは有名だ。
つまり、火力(暴力)を持ち得た「男」という支配者層が、他者を支配するために、
いろいろこじつけて作り上げた概念だ。
そして、人間は無意識のうちに、それを受け入れ、支配されてしまう。
男(支配者)と女(被支配者)。
キリスト教(支配者)と他宗教(被支配者/キリスト教徒が支配を始めたアフリカ、アメリカ、アジア、中東における植民地等等)。

支配されないためには、「自分の頭で考えること」が必要だ。
「あたしはあたしなの!」確固たる自我を持ったヴァンダは、永遠に支配されることはないだろう。


父系社会の象徴である全能の神ゼウス(北欧神話だとオーディン)は、ちゃぶだい返すお父さん。
でも、日本でお父さんの権力が強かったのは、開国して欧米の文化の猿真似を始めた
明治から、戦争に負けてすっかり自信喪失になった60年くらいの間のことで、
それ以外の千数百年間、基本、日本は母系社会なんです。

日本神道の大神は、アマテラス。女神なんだよん。
アマテラス様、バンザーイ!



トーマス役を、ジャニタレが演じたのは、なんというか象徴的で、
たぶん、演出のロスさんは、ジャニーズの特殊性を知らないで演出したから、
稲垣吾郎の演ずるトーマスに面食らったんじゃないかな。
女性心理を熟知しているジャニタレは、まさにトーマス役に打ってつけなんである。
(アイドルはファンを支配しているように見えるが、ファンがアイドルを創りだしてもいるので、
アイドルはファンに支配されてもいる。それを理解し受け入れられるアイドルだけが、生き残ることができる)。

そして、なんといっても、中越典子さんが良かった。
頭の軽そうな女の子から、徐々にトーマスを支配する「女」あるいは「女神」に変貌していく
過程は、見ていてゾクゾクした。
最初は体が細すぎて、もう少し豊満な女優のほうが良かったかも、と思っていたのだが、
終盤ではその華奢な体からは想像できないエネルギーを放出し、まさしく「これぞ、女」なのであった。
素晴らしい女優さんである。

クリムト画『ユディト』
クリムト.jpg




蛇足

演劇の舞台は「額縁舞台」が主流なんですが、
『Venus in Fur』はそれに輪をかけて、「額縁化」している。
ほとんど「箱庭」状態。
この考察はまた今度。



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サロメ/新国立劇場・中劇場 [演劇]

二ヶ月も放置してしまった。

ロンドン行ってシンベリン見ようかと思っていたんだけど、
やっぱオリンピックで飛行機もホテルも高いので、
イタリアに変更しました。


帰ってきて、さあ芝居でも見んべーと思い、サロメを捜したら、
人気チケットになっていた。

何故?

なんで?

ちょっと期待が高まり、ぴあで14列目があったので、ぽちっとはせずにボックスオフィスに電話してチケット購入。
だって、ぴあで買うと手数料315円もとりやがるんだもん。
劇場の窓口でクレジット決済すれば、手数料無料じゃけん。

で、期待にない胸を膨らませて見たんだけど。
うーん。

フツー。

舞台装置はおもしろかったけど。

最後の血の海は別に。

フツー。


サロメって血塗れのイメージないなー。
13歳だっけ?
15歳だっけ?

ヨカナーンの首がほしいの!!!
ほしいったら、ほしいのっ!!

だって、綺麗なんだもん。


そうなんである。
単に、女の子が綺麗なものを欲しがっているだけなんである。
その心情はすんごく理解できる。
アタシだって一時期とーまの首を飾っておきたかったもの。

それと舞台を覆う血の海は結びつかなかった。

成河くんがVTRでチャラくなっていておったまげた。
坊主のイメージだったもんで。

高音の声は予言者に似合っていたけれど、
サロメが欲しがるような首だろうか。。。と思うと、あまり説得力はない。

そんなとこかな。
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サド侯爵夫人/世田谷パブリックシアター [演劇]

万斎さんの『サド侯爵夫人』も観たのであった。

去年の蜷川さんのがあまりにもアレだったので、まさにお口直しした気分。
そーよ、そーなのよー。
こういうサド侯爵夫人が観たかったのだ。

第一幕の前半、サンフォン、シミアーヌ、モントルイユの3人が並んだとき、「女、こえー」と思った。
もう、女三人並んだだけで、いろんな打算や駆け引きが垣間見えて、こえーって。

だから、男性がやってもムダなんだっって。サド侯爵夫人の芝居は。
いくら平さんが名優でも、母性まで出せまい。
母性を超えた女同士の死闘なんて、とうてい演じられまい。

蒼井優ちゃんは、オセローのデズデモナのときも思ったけど、
舞台に出た瞬間の、観衆の目を釘付けにするあのオーラは凄い。
顔立ちはどちらかというと、可愛い系なんだが、登場した瞬間「美女!」と思ってしまう。
なんて、魔力。

そして、万斎さんはルネをどう解釈して、優ちゃんに演じさせるのかと楽しみにしていたら、
これも予想の斜め上を行って、楽しかった。

貞淑に夫に仕えていた無垢の少女は、長い戦いを生き抜いて、
最後には夫を赤いハイヒールで踏みつけにする猛女になりました。
ええ、もちろん外観は可憐な少女のままですが。

2幕目のラストだったか、母親から「打ちますよ!?」と恫喝されて、「ええ、どうぞ」と左頬を差し出したときの優ちゃん。

怖かったです。


総括すれば、面白い芝居は、どんなに台詞が長くても、一瞬も飽きる隙はない。

去年のサド、ヒガシくんの台詞廻しの平坦さに、殺意さえ抱いたもの。
あれが演出なら、完全に失敗でしょ。


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シンベリン/さいたま芸術劇場 [演劇]

ネクスト・シアターのハムレットも観たのであった。


シェクスピアの力技ストーリー展開は慣れてるし、流行作家にありがちなキャラと設定の使い廻し(にちょっと後ろめたかったのか、ギリシャ悲劇のゼウスが出て来ちゃったりしてるけど)は慣れてはいるものの、今回はあんまり劇中トリップできなかった。

理由は。。。。。。


なんで大竹しのぶなの?

いやね、技巧で年齢を超越するってのはアリかもしんないけど、
アタシャ人間国宝が踊る娘道成寺にさえ感銘を受けないタイプのバチ当たりなんで、
冷めてしまうんです。
遠目ならまだしも、オペラグラス使うと現実に返る。
それに、大竹さんもう飽きた。。。

他に若手の女優はいないのか?

なにゆえに、蜷川さんは男優の使い方は上手いのに、たまに脳内が腐女子とシンクロしてるんじゃないかっつーくらい、男優さんに素敵な格好やあんなことやこんなことさせるのに、なんで若手の女優さんを使うのは下手なのか。

だから、大竹しのぶなのか。
田中裕子なのか。


戦争に赤子の泣き声とサイレンとか、拍子木とか、和洋折衷とか、最後後ろの扉が開いて世界転換とか、歌舞伎みたいに形式美として成り立たせちゃう方向なのはわかりました。



窪塚くん。
あの独特の台詞回してシェイクスピアの長台詞どうするんだろー? とワクワクしていました。
ちょっと押さえ気味だったけど、いい感じです。
何よりも彼の突如爆発する狂気は、どの役者にも表現できないもの。
好きですねー、役者として。


もう一度くらい観よっかなー。
つーか、ロンドン行って、向こうの観客の反応が観たい。
勝村さんのところ。

















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血の婚礼/にしすがも創造舎 [演劇]

ロルカの「血」は「神」を指しているのだと思う。
アンダルシアの田舎の因習に囚われた閉鎖的な世界で、
人々は窒息しそうになりながら、決して自分では主導権を握れない人生を生きている。

高校生のときは、「ベルナルダ・アルバの家」を観てもまったく理解できなかった。
今なら、多少は何かしらわかるかもしれない。
でも、日本で「血の婚礼」以外、上演するのは難しいだろう。

清水邦夫氏は、ロルカの「血の婚礼」にインスパイアされて当該作品を書き上げたそうだ。
思い返してみれば、私は清水氏の作品をほとんど知らない。
相性が悪いのか、あまり理解できない作品が多いからだ。

北の路地で、電車にさえ乗せてもらえない愛の亡者たちは、
どこにも行き着くことはできない。
もし、あの殺し合いをループに表現してるなら、転生することも叶わない無間地獄として
解釈できるのだけれども、そんなに単純なものでもないらしい。

喪服の男と鼓笛隊。
思考してるとセリフを聞き逃してしまうので、
あと2,3回は見ようと思う。



窪塚洋介は、劇場まで足を運ぶ価値のある役者である。
あの、目眩がしそうなほどの個性の前には、
演技論云々などくそくらえだ。

「血」を超越した存在、それが窪塚洋介なんである。
そんな圧倒的な役者を使いこなせるのは蜷川さんくらいしかいないっつー事実が、
日本の演劇界を貧しいものにしてる原因のひとつではないだろうか。


支持者は結構多いんだぜ?








NOISES OFF [演劇]

面白かった。

ドタバタ劇なんだけど、構成が絶妙。
最後はシェイクスピアよりも強引な大団円にもっていくのも、
あそこまでドタバタだと、もうどうでもいいや、って気にさせられるもの。

一番の見所は、2幕目の前半、楽屋裏でのドタバタ。
みんな無言でドタバタしてるのが、余計おもろい。

特に、成河くんの斧を避けるタイミングがすごい。

小島聖さんが目に入る度に、「綺麗な人だなー」と思ってしまう。
小顔で手足が長くてー。


なんかこー、演劇の原点を示しているお芝居でした。
お値段も、経済的。






タグ:NOISES OFF
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ゴドーさんを待たなければならないのかしらん? [演劇]


ゴドーとか天一坊とか欲望という名の電車に乗って墓場で乗り換え、千葉の駅で降りたのだけど。

あと、イキウメだな。

最近観劇しても、感想書きてーって衝動がないわ。

『ゴドーを待ちながら』はサスガの俳優陣で、やっぱ不条理劇は役者の力量があってこそ、見てられるもんだということがよくわかった。
もう1回観たかったのだけど、都合が合わずに終わっちゃった。
hnkでやってくれんかな。

ゴドーは演出家の解釈でどうでも作れる作品だと思う。
今回のは、左右に貫く川のような舞台が、まるであの世とこの世の間みたいに見えた。
東洋人的な解釈で言えば、56億7000万年後にゴドーはやってくるのだろう。

アタシ個人の趣味なら、ディディとゴゴは世界の消滅を待っていてほしい。

電気羊の夢を見たいのだ。



『欲望という名の電車』

松尾スズキさんの演出って、初めて見た。

なんであんなにコメディ化したのだろう? 意味ないし。
新聞のセールスの男の子に脳髄啜り出すようなキスって、おかしいだろ?
ブランチは10代の恋愛から逃げられないのだから。

あっ。
今思い出したけど、アタシの後ろの席にポーランドあたりの外国人の女の子が座っていて、
上演中ずーっとしゃべっていてうるさかった。
たぶん、出演者の友達だとは思うが。
つか、何語だったのかだけ知りたい。

チェコとかハンガリーとか、あの辺の言葉っぽかった。




イキウメ『散歩する侵略者』



愛は地球の足を掬う


私の好みではない脚本なので、論評は避けます。

ただ、宇宙人の奥さんの役の女優さん、なんでいつもセリフがヒステリックなんだろう?
あんなにキリキリしゃべられたら、全然感情移入できなくて、アタシの愛をあげると言われても、オエーっとなってしまいました。



あ、ぼっちゃまもみたんだった。

これはタダのスマスマコントだった。


























タグ:ゴドー
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NODA MAP『南へ』/東京芸術劇場 [演劇]


震災で行けるかどうかわからなかったけど、何かにムキになって、這ってでも行こうと思った。
2時間前の当日券の列は、5,6人。
楽勝。


出色はチョウソンハ。
何がなんでも、チョウソンハ。

見ていて飽きない、というか。
見ていて爽快な役者さんだ。

まだ若いのに(いや、そうでもない?)。

声が高いので、たまに何言ってんだかわかんないけど、舞台を征服したのは、彼だ。
ずっとずっと、彼の芝居を見たいと思う。



天皇家のルーツは朝鮮半島。
北から来た人。

征服した出雲王朝や吉備王朝を歪曲し、『日本書紀』でまがい物の歴史をでっちあげた。

思えばこのときから、日本人のごまかし、歪曲、捏造は始まったのだろう。
諸外国は、すぐに別の権力者がとってかわるから、捏造はばれるのだけれども、この国はあいにく「万世一系」なもんだから、歪曲した歴史が正されることはない。

まがいものの天子の命で、南へ追いやられた兵士たち。

ニューギニアで。

ガダルカナルで。

サイパンで。

硫黄島で。

「神国日本」と、「勝ってる勝ってる」と、捏造された情報を信じて、餓えて、腐って、1日80キロもニューギニアの険しい山の中、道なき道を行軍させられて、折り重なるように死んでいった若者たち。


でもねぇ。

いくら野田さんが、日本人に活を入れようとしても、実際に野田さんの芝居を見に来ている人たちは、「8月15日」がなんの日かさえ、知らないんだ。

みんな、歴史に興味はないんだよ。
歴史を話すと、中学校ではイジメに遭うんだよ。

今の日本は、知識のない人たちのほうが偉くて、権力をもってるんだ。
4人組のいない、文化大革命が、今の日本なんだよ。



それでも、野田さんは叫び続けるのだろうか。
永遠にわかろうとしない観客のために。
それが、表現者の使命とばかりに。


























タグ:NODA MAP 南へ
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