偽りなき者 [映画]

紆余曲折を経て、また以前の生活に戻る事ができたので、DVDの乱読ならぬ乱鑑を始めた。

で、『偽りなき者』。

結構レビューがUPされていて、一通り拝読してから書いてみる。

ラストを主人公の幻覚だと言っている人がいて、びっくらこいた。

まさに、こういう現象こそ、この映画で描きたかったことではないだろうか。

つまり、人は主観こそが「現実」なのであって、真実なんかどうでもいいんである。

クララが嫉妬からついた嘘を信じた人間達にとって、主人公が変態であるというのは、まぎれもない現実なのである。
それが物的に証明されないかぎり、いや、たとえ物的に真実が証明されたとしても、真実を理解しようとする意識がないかぎり、主人公の冤罪は晴れない。

これは、少なからずも私たちの日常に起こっている。
たとえば、あなたが結構な才能を持っていたとしよう。
しかし、その才能は目に見えるような、たとえば、東大卒とか、一流企業の社員とか、わかりやすいものでないかぎり、想像力のない人間は、あなたを評価することはできないだろう。

つまり、Aさんの意識の中の現実と、あなたの中の現実、Bさんの意識の中の現実は、まったく異なるものなのである。

クララは、「自分は嘘をついていました」と告白したが、周囲の大人はクララの言葉をもう信用しない。
「性的虐待を受けた」という嘘だけを信じている。
この状況でクララが大人になれば、もしかしたら、クララの記憶も塗り替えられて「私は子供の頃に性的虐待を受けた」に変化し、それが「真実」となってしまうかもしれない。

ひたすら淡々と描かれている映画だが、見る人によって様々な思考を与える映画だ。

そして、疲れる。

「グレーは嫌だ」というレビューもあった。
アタシも嫌だ。
白黒つけてくれた方がありがたい。
グレーなのは現実だけで十分だ。

ところで、以前誰かが言っていた。
「男は教育されて男になるが、女は生まれながらに女なのだ」と。

クララが座っている場面を背中から撮ったシーンがあるが、幼稚園児にしてすでに背中のラインが「女」なのである。
もしかしら監督は、オーディションで彼女のあの「女」の部分を見て、キャスティングしたのではないかと穿ってしまった。

いろいろ細かな伏線が多くて、返す返すも、見ていて疲れる映画であった。

タグ:偽りなき者

グッドワイフ/The Good Wife [テレビドラマ]

グッドワイフの第6シーズンを見終わった。
NHKではもうグッドワイフの放送は絶望だということを知って、非常手段に出た。
こういう時、英語と中国語が出来ると便利。
世界は中国語と英語で征服できる。
日本語しかできない日本人はくそくらえ。
ERで統合失調症の回をまるまるカットしたNHKなんかクソ食らえ。

カリンダが好きだった。
彼女の生き方は憧れだった。

だから、彼女がビショップの使い走りみたいになっていたのは解せなかったのだけど、カリンダは裏切らなかった。
彼女は何者にも縛られない存在だったのだ。

ジュリアナ・マルグリースとアーチー・パンジャビが不仲だったという説を知って、がっかりした。
ラストの二人のシーン。

合成だっていう人がいた。
私もそう思う。
あのシーンは合成だ。

残念。ひたすら、残念。
カリンダが心から愛していたのは、アリシアだったのでは? と思うにつけ、現実の女優同士の確執は非常に残念だった。

でも、カリンダというキャラクターは私の中では実在していて、彼女の圧倒的な孤独も理解できるし、彼女という現象に出会えたことを感謝している。

そして、カリンダというキャラを創り上げたアーチー・パンジャビにも。

カリンダ、Love Always.



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