人間失格 [映画]


監督は最初から「生/田/斗/真を綺麗に撮ることが目標」と逃げていたので、そういう作りになるだろうなと予想したとおりの映画だった。

もともと、文章で表現されているものを映像で表現するのは不可能なのだ。
映像はどうしても第3者の情報が画面に入ってしまうからだ。葉蔵の主観だけで映像はまとめられない。

すると、どうしても荒戸監督のようなまとめ方に行き着いてしまうのかもしれない。
ただ、最後の鉄とのシーンは蛇足だと思う。
たとえ鉄が葉蔵を生み直しても、葉蔵は生き返らない。
死んだまま生き続けるだけだろう。


役者に関して言えば、生田は映画初出演初主演の大役をよくこなしていた。
いかほどのプレッシャーだったかと思う。
ただ、葉蔵という役は、他の顔の綺麗なジャニタレなら、誰でも代われるのではないかと思う。
なぜならば、「女を惹きつけてしまう」要素をもってなければ、ジャニタレとして生き残れない。言い換えれば、「女を惹きつけてしまう要素をもっているジャニタレなら誰でも、荒戸監督の大庭葉蔵は演じられる」ということだ。

話はずれるが、「生/田/斗/真を美しく撮る」という点について。
たしかに、『人間失格』のなかの生田はとても美しい。
ただそれは、生田のほんの一面の美しさにすぎない。

生田の本当の美しさは、「闘志に燃える右目」にある。
『あずみ』で千人切りをこなした「ウキハ」の眼であり、『Endless SHOK』での劇中劇で山賊の頭領として刀を振るう「トーマ」の眼である。

あの闘志の瞳を荒戸監督は見たことがないだろう。
そして、中津以降にファンになった人も見たことはないだろう。

あの瞳が、映像に残らないことが非常に残念だ。
生命力を封じられる葉蔵役では、望むべくもない。


話を映画本編に戻す。

私は主人公の役者贔屓なので、映画を最後まで退屈せずに見ることができたが、生田のファンでもなく、『人間失格』を読んだことのない観客は、退屈せずに最後まで見られるだろうか?
なんせ、説明がないのである。
とあるラジオの女性パーソナリティなんぞ、「出てくる女みんな悪い女」とのたまっていた。


「大人の事情」のしがらみのない、まっさらなままで見た方の正直な感想を聞きたいものである。




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