血は立ったまま眠っている/シアターコクーン [演劇]

寺山修司って1983年に亡くなってしまったので、社会主義の崩壊を見ていないし、その後のネットで激変した社会も見ていない。
彼が今生きていたら、なんて言うだろう。
蜷川さんは、寺山修司の23歳のときの戯曲で、何を表現したかったのだろう?

あの時代を描きたかったの?

1回見ただけでは、よくわからなかった。

灰男と良のことよりも、チンピラたちの事のほうに重きを置いていたような気がする。

チンピラたちと灰男たちの世界は、絡み合っているのか絡み合っていないのか。

60年代の学生闘争に対するイメージは、「いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんがむやみやたらと騒いで、リンチ殺人事件で目が覚めて、パーティが終わった」というものでしかなく、「解放」「解放」って、何からの解放を求めているのかはっきりと提示されていなく、それが二十歳そこらの若造たちがやっていることなのだから、別に何があるわけでもないのは当たり前なのだが。

ただひたすら、「余計なことしやがって」。

という感想だ。
つまりは、オヤジどもの世代だよ。
余計なことしやがって、と思っていた世代の子供が、いまの二十歳だよ。


だから、あの時代を生きた人々が若い頃を懐かしがっている作品は、いささか虫酸が走る。
それに蜷川テイストが絡んで、チンピラたちがわいわいやってるシーンで、一瞬、シェイクスピア劇とのデジャブが・・・(マクベスの三魔女のところじゃなくてね)。


演劇的実験とやらも、そういばビデオで見た天井桟敷の公演に拒絶反応起こした自分が、理解できるはずもない。
そもそも、寺山修司があんまり好きじゃないのだ。
だって、いいとこのボンボンが、マスコミの風に煽られて、100倍くらいに膨らまされた感じがする。


ので。

役者さんたち。


なんといっても、一番楽しみだったのは、今回が初舞台だった窪塚洋介くん。
リアルに空を飛んで尚かつ蘇った彼は、もっと威張っていい。

もともとあの独特のセリフ廻しが大好きだったので、それを抑えられた今回の役柄は始めちょっと戸惑ったが、
瞬時に湧き起こる凶暴性は、彼だからこそ、表現しえるもの。

この役柄は、映画で見たかったな。
彼の目の表情は、舞台後方には届かないよ。
私は双眼鏡でじっくり見ていたから、わかったけれども。
それは舞台演技がまだまだこれからだということだろうが、果たして彼に舞台演技を学ばせる必要があるのかと思うと、否ではないか。
映画の画面でこそ見たい俳優。

ああ、でも生もイカしていた。60年代風にいうならば。


森田くん。

声が少年ぽいから、あの役?
IZOと似た役柄だった。

声質と顔がミスマッチ。
小柄なのも、今後どう生かすのか。


寺島さん。

18歳の役。
遠目だったら、問題ないです。
何も言うことはありません。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。