ある不在-アプサンス-/紀伊国屋ホール [演劇]

金スマに吉行和子さんが出ていた。
いつも金スマは見ないのだが、吉行さんは好きなので、見ることにした。
彼女が仲の良かった、岸田今日子さん、富士真奈美さんとの旅番組を以前見たことがあって、三人の漫才のような掛け合いに、「マクベスの三人の魔女みたい」と思ったものだ。
彼女たちは生きることを本当に楽しんでいた。

金スマでは、吉行さんの異端ぶりが遺憾なく発揮されていて、さらに安住アナも加わって、実の母親に「偏屈」と呼ばれているアタシでさえも唸るコメントの嵐であった。

たとえば、吉行さんは結婚して初めて「人と一緒に暮らすことは不可能」と悟り、「一度もご飯を炊かなかった」ことが原因で離婚された。
吉行さん曰く「家に帰るとき、明かりがついているのに慌てふためいた」そうである。
なので、近所の喫茶店で心を静めてから、ダンナの待つ家に帰ったそうだ。

安住アナといえば、「自分が何かをしているとき、後ろからじっとみつめられると、『見るんじゃねえ』と思いますね」


うーん。
これは、深い。

誰とも暮らせない人種って、世の中結構いるのである。


さて、その面白すぎる吉行さんが、舞台生活に終止符を打つべく選んだ戯曲、ロレー・ベロンの『ある不在ーアプサンスー』が再演されるというので、それっとばかり行ってきた。
不勉強ながら、この作家も作品もまったく知らない。
あらすじは、突然倒れた元女教師の老女が、入院先の病院で過去と現在を彷徨うもの。
元女教師ジェルレーヌがそばにいてほしい人(自分の元を去っていった夫と息子)は、いつも不在である。
しかも、他の女の元に行ってしまった夫は、別れ際に自分を見ることさえしなかった。
それではもはや、自分は存在していないのも同然ではないか?

御歳72歳の吉行和子は、どうしてこの戯曲を、自分のラストステージに選んだのだろう?

吉行さんの舞台を見るのは、これが最初で最後になるかもしれない。
生の彼女は、それは美しく魅力的であった。

華奢なのに巨乳。
相手役の岡田浩輝さんに、ひょいっとお姫様抱っこされるときなんか、可愛らしくて少女のよう。

この戯曲のなかでは、元女教師の意識内での少女を演じる。
たいていの女優さんは、少女を演じるときに、声を高く作って却って違和感をもたれてしまうのだが、吉行さんは普通よりやや高いだけで、なんの違和感もなく少女を演じていた。

たぶん、違和感がないのは、もともと吉行さんが可愛らしい女性だからだと思う。
前述の金スマでも、この戯曲内でも、けっこう辛辣なセリフを吐くのに、全然嫌みがない。
それどころか反対に、辛辣なセリフを可愛らしいと思い、笑いさえ誘うのだ。
なんてお得なキャラクターだろう。


また、相手役の岡田浩輝さんも素晴らしかった。
この人の舞台も初見である。
テレビや写真で見るよりも、ずっとずっと格好良かった。



昨年、大原麗子さんが自宅で亡くなられたというニュースが流れたとき、「ひとりで死ぬなんて、自分はぜったい嫌だ」という感想が多く見られた。
みんなさびしんぼうであまえんぼさんなんだね。

私はといえばそのとき、大原麗子さんの死に方はとても彼女らしいと思ったものだ。
そしてこの世から美しい人がいなくなったことに、静かに合掌した。


私はいま、「いかに老いるか」よりも、「いかに死ぬか」ということを考えている。
もちろん、寿命まできちんと生きるつもりである。

ただ、その寿命さえも、自分で選びたいのだ。
そこまで私は我儘で傲慢なんである。


理想を言えば、シベリアに行ってシベリア狼の食料になることだが、あの美しく気高い獣たちは、こんな下等な生き物なんざ食したくないかもしれない。

ならば、なるべく他人様に迷惑をかけず、どこか見知らぬ土地で客死したいものである。


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